1月19日極私的☆地殻変動☆ドキュメント【1】2004年1月19日 なにやら大きな地殻変動が起こっている♪ --------------------------------------------- ■転機 就職して最初の4年、制作プロダクションに勤めた。 次の1年は、新しい会社での生活。 今思えば、フリーになることを決心するための1年だったように思う。 そして2000年3月。 数日後に誕生日を控えた26歳の春、フリーになった。 もうすぐ4年になる。 新卒の4年と比べると、 独立後の4年は、比較にならないくらいあっという間だった。 とても、同じだけの時間が流れたとは思えない。 そして、 ひとつの転機を迎えている気がしている。 この“転機感”は、 とっても動物的な感覚だけれど、ドデカイ感じだ。 自分のなかでの“揺れ”が大きい。 およそ10年前の就職活動以来の、 大転換期のような感じ。 4年前、独立を決心したときよりも、 はるかにドデカイ震度で地殻変動が起こっている。 --------------------------------------------- ■20代→40代 20代の間ずっと、40代は遠すぎてイメージできなかった。 全然、まるで、からっきし、イメージ出来なかった。 ここでいう、40代というのは、 具体的な年齢のことではなくて、 結婚、出産、育児、というイベントを体験した後のステージ、 というイメージに近かったように思う。 それが、40代、という漠然とした感覚。 で、結婚&出産、というイベントを、 じぶんがどうするのか、まったくわからなかった。 それと、 それらのイベントと“おのれの仕事したい欲”がどう連鎖するのか、 予測がつかなかった。 休業したいと思うかもしれないし、 仕事は意地でも続けたい、と思うかもしれない。 それはもう、全然わからない。 いずれにしろ相手のあることだし、 まだ分からなくていいや、、、 と思っていたのだけど、 ひとつだけ、明確なイメージがあった。 選択肢のある女性になりたい、ってこと。 仕事をしたければするし、 休業したければ辞めちゃう。 で、復帰したいと思ったとき、 求人誌を片手に年齢制限をチェックしながら、、、 という消去法ではなく、 具体的には分からないけど、 その時にやりたい!と思う仕事を自ら選び、 一歩を踏み出せる女性になりたいぞ♪、、、と強く願っていた。 妙に、明確に、そう思ったのです。 で、それは、 そう簡単なことではない、、、 ということぐらいは分かっていた。 相当の実力と、人脈、人望、がないとだめだろう、、、と思ったから、 出産とか、育児といった、 自分のモチベーションがどう動くか分からないイベントを迎える前に、 人の3倍はがんばろう、と決意した。 そして、いまに至る、のである。 --------------------------------------------- ■30代→40代 で、最近、10年後の、40歳の自分を、 ちょっとリアルにイメージ出来るようになった。 まずは、結婚が具体的になった。 出産&育児と、おのれの仕事欲の連鎖反応、 についてはまだ分からないのだけど、 育児をしながら今のワークスタイルを続けることは不可能に近い、 ということは、分かってきた。 これは、去年11月のプロジェクトで目の当たりにした、 育児と仕事の壮絶な両立シーンが大きく影響している。 ※詳しくはこちら↓(12/8■続マドレ) http://plaza.rakuten.co.jp/trinity30/diaryold/20031208/ 仕事についても、 フリーになって4年、大きな転換期を自覚している。 この1年で、わたしを取り巻く環境も大きく変わった。 それと、、、 何より、自分のなかに起こっている、価値観の変動。 いまの延長ではなく、別な方向への転換がイメージされるのだ。 具体的には分からないけれど、 最近、少しづつ、感じ始めている。 まだ、不確定要素もたっぷりだし、 分からないことだらけだけど、 40代の自分をイメージする入口に立った気がする。 これは、ある種、リセットに近い感覚だ。 絶対になりたくないと思っていた消去法オバサンになるか、 理想像としてイメージしていた選択肢のあるオバサンになるか、 ぶっちゃけ紙一重なわけで、笑 当然、不安になることもある。 でも、この大きな地殻変動は、必要なことのような気がしている。 子供のときから、転換期には、 自分がどうしたいのか、フツフツとイメージが沸いてくる体質らしく、 不思議とやりたいことが見えてきていた。 だから、次なるフツフツの誕生を味わいたいと思う。 --------------------------------------------- ■変動 価値観が変わっている。 めちゃくちゃ大きく、変わってきている。 これまで、常に新しい情報を創造する仕事、をしていた。 でも最近、常に変わらないものへの興味が尽きない。 不易流行とはよく言ったもので、 本質的な価値を包含するものでなければ、 本当の意味の“流行”にはならない。 お師匠たちに“不易足りえる流行”の何たるか、を叩き込まれたので、 単なる“流行”は許せない。 でも、最近思うのだ。 マスという概念(マスプロダクト/マスメディア)のなかにいる限り、 【情報の激しい消費】というスパイラルの 一端を担っていることに変わりはない、、、 という、ある種の罪悪感(?)のようなもの。 広く伝える、 という機能は有益だし、 必要なのだけど。。。 答えは出ていないのだけど、 最近、こんなことばかり考えている。 --------------------------------------------- ■両極 真逆の価値のなかで、揺れている。 常に刷新される最新の情報と、 常に変わらない価値。 多くの人に支持されたがゆえの大ヒット商品と、 大量生産できないもの(たいてい、質が高い)。 最先端の技術と、 伝統工芸などの技術。 (優劣という軸の両極ではなく、 未来へ進むか、過去に進むか、という時間的な両極として) いつでも青山に出掛けられる便利さと、 町内会みたいなベタな地域コミュニティーへの憧れ。 (地元のちっちゃな神社のお祭りを当番町制で仕切ったり、 近所のオヤジが私の誕生日を覚えていて、 10年ぶりに逢ったのに「お前も次の3月で31だろう」とか 平気で言うくらいの、ヘビーなコミュニティー感。笑) 情報が豊富にある暮らしへの執着と、 自分の子供は町内会コミュニティーの中で育てたいという欲求。 (どんなにインターネットが充実しても、 情報のスピードと量は、東京と地方都市は雲泥の差だと思う。 地方出身者だからこそ、帰京するたびに実感することとして。) 、、、などなど、、、 これらのどちらかの極に向かって行くのか、 極の融合に邁進するのか、 まったく別な方向へ突っ走るのか、 しばらく、わたしの中の地殻変動は続きそうである。 end--- home | next |